「廿日市市 宮内」周辺は、宮内の名の通り、昔、厳島神社の社領で、天王社には、厳島神社から神主さんが来て、お祭を行っていたそうです。
境内にある石燈篭は、、今から300年ほど前に厳島神社から寄進されました。これは、地御前神社にもない、異例のことだそうです。
社紋も、同じ「三亀甲剣花菱」です。
明治以降は、地元の氏神様として大切にされていますが、その関係は、平成の今でも続いていて、社殿が壊れた時には、修復工事の応援を快く引き受けてくださったとか。
この天王社、元々は、もっと海沿いのJR串戸駅近くにありましたが、今から400年ほど前、津波により壊され、今の場所へ移りました。元あった場所には、「天王址」という立派な石碑が建てられています。
実を言うと、この石碑を探し出すのに、私的には大変苦労しました。地域の歴史をまとめた冊子による場所の記述が「広田神社の西50m」「串戸三丁目、JRと広電の間」という2件、そして、戦前の串戸一帯の地図。今と道も建物も違う(!)のです。そんなに広い範囲ではなかったので、細道という細道を隈なく歩き、やっと発見。アパート裏の小さな空き地に、草に埋まって静かに立っていました。
見つけた時は、正直、嬉しかったです。ま、聞けばすぐ分かるのですが、「探す→自分が発見する」楽しみ…「アハ体験」ですかね。アジヲシメテシマイマシタ。
また、天王社には、県内有数の巨木があります。イチョウやイヌマキ、ムクロジの実等は、実際に地域の人たちの役に立っていた事でしょう。
巨木って、存在には圧倒されますし、絶対触りたくなるのが、不思議ですね。
※「ここからのMIYAZIMA VIEW」は、お休みします。
次回は、ついに宮島上陸?3つの弥山登山コースの完全制覇を目指して、宮島通いをしようと思います。
(参考資料;『宮内の歴史と文化』廿日市市宮内まちづくり委員会/編,『廿日市町史』廿日市町/編,天王社の教育委員会による看板)