秋祭りの楽しみといえば、夜神楽です。今回は、お馴染みの「恵比寿」や「八岐大蛇」等に加え、「もみじ狩り」が舞われました。心躍るリズムと切れのいい舞~最高です!!(写真は「もみじ狩り」)
さて今回は、廿日市の桂公園へ行きました。厳島神社神主家藤原家三代が居た桜尾城跡です。
戦に明け暮れていた14世紀(南北朝時代)頃から藤原氏がここ住み始めたそうです。
16世紀初頭、藤原興親が京都で病死したのをきっかけに、神主家と社家の争いが始まりました。
その中、従兄弟の友田興藤が、主人の大内氏に逆って桜尾城に入り、神主家を名乗りました。すぐに仲直りしたものの、1541年に切腹、藤原神主家は滅亡しました。
(写真:坂を上ると桂公園です。左右に桜々…、公園にも沢山の桜が植えられ、春は、素敵なお花見ポイントです。)
大内氏は、家臣陶氏の謀反により破れ、その陶氏もまた、毛利氏によって討ち取られ(厳島合戦)、1554年、毛利氏は桂元澄を桜尾城主としました。
(写真:広いグラウンドと遊具のある小さな公園。地域の憩いの場です)
桂元澄の後、毛利氏が城主となり、1587年には、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、九州へ向かうためここへ泊まったこともありました。
1588年、毛利氏は、広島市へ築城を始め、福島氏が跡を継ぎましたが、江戸期にはいり、廃城となりました。
(写真:公園内には、植樹記念碑や歌碑等、多数の石碑がありました。それぞれにいわれがあるんでしょうね。)
1912年、桂氏の末裔桂太郎が、城址を明治政府に寄贈し、桂公園となりました。買収坪単価は1円、土は埋め立てに使われたそうです。
(写真:片隅に大気観測施設がおかれています)
こんな小さな城が何故、覇権争いの的になったのか、今の私には疑問ですが、当時ここは海に突き出た岬にある城であり、厳島神社も近く、北側には、西国街道が通っていました。交通の要所であったことは確かでしょう。
今、ここには城を思い起こさせるものは何も残っていません。まさに「兵どもの夢の跡」ですかね。
(写真:一本残された街道松。城の北側上り口にあった小さな祠)
最後に、久し振りの”ここからのMIYAZIMA VIEW”です。ビルの間に、あ!見えた!!
(参考資料:『図説廿日市の歴史』廿日市市/編・発行 『廿日市の歴史探訪四』石田米孝/著;渓水社 城址碑)