道は明るくなり、立派な石碑が立っていました。
「高庭駅家跡」です。ここが廃止された後「濃唹駅」が設けられました。(並んで濃唹駅跡があります)
今から約1100~1300年前の事です。大きい方の石碑には「出て行きし 日を数えつつ今日今日と 吾を待たすらん 父母らはも」という句が彫られています。旅の途中で、若くして亡くなった人の思いを悲しんで詠われたそうです。
高速も新幹線もない時代の旅の苦労は、底知れなかったことでしょうね。
木立のトンネルを抜けると、笹ヤブの中に溜め池がありました。
「高畑の溜め池」です。大野で最も古い灌漑用の溜め池だそうです。
(今は使われていません。)
一面にスイレンが広がり、ピンク色の綺麗な花を咲かせていました。
花に見とれていると、チクリ!足が痒い・・・
ヤブ蚊は、強烈です。日焼け止めだけでなく、虫対策もお忘れなく。
新幹線の高架下から中津岡川を渡り、「西教寺」へ。立派なお寺です。
大内・陶氏により寺領を受けましたが、厳島合戦で敗れたことで焼失。1600年ごろ、ここに浄土真宗の寺が建てられたそうです。
永慶寺川へ向かってしばらく歩いて行くと、田んぼのところに小さな碑がありました。「大野学校教育発祥地 明心舎塚成舎跡」とありました。
そして、永慶寺川の「水之越」に来ました。ゆるやかな流れに、自然の護岸が残っていました。魚や虫、鳥など小動物にとっても、住み心地が良さそうでした。
私は、川面を眺めて思いました。「帰ってきたぞ~~」(?)
永慶寺川を挟んで東に行くと「永慶寺薬師堂」、西に行くと「毛保稲荷社」があります。
民家のように見える薬師堂には、廃永慶寺の仏像が安置され、今でも、講の寄り合いが続けられているるそうです。
一方「毛保稲荷社」は、毛保川の干潟に作られた新開を守るために、建てられたものだそうです。朱の鳥居が眩しかったです。
周辺は、再開発の真っ最中で、川の護岸工事、道路や区画の整備等が行われていました。
私が歩いた6月6日は、山陽本線沿いにある6区集会所で、「菖蒲まつり」が開かれていました。花を愛でるだけでなく、地域の人たちの交流の場でもありました。
横の菖蒲園には、紫色の優美な花が咲いていました。見ごろは6月中旬だそうです。
では、最後に「ここからのMIYAZIMA VIEW」は、永慶寺川河口からです。ちょうど引き潮で、宮島がいつもよりぐっと近く感じられました。だって、大野瀬戸の幅は500㍍くらいしかないんですものね。
今年の「御陵衣祭」は、6月16日です。入梅だし、昨年のように雨にならないといいけどな・・・