神様に、具体的な姿、形は無くて、岩や木などに神様が依よりつくと考えられてきました。
鏡は神様が宿られる“依代よりしろ”の一つとして、神様の存在と威儀を示しているそうです。
依り代(神様の居場所?)がないと安心して鎮座されません。
鏡を通して神様と自分が向かい合い、誠実で清らかな心でお参りする。
(鏡に自身の姿を映し出し、自分の中にある神を思い出し、自覚する)
自覚するには、鏡「かがみ:化我身」の真ん中の「が(我)」をとること と言われています。
「我」とは・・・「自分だけが」というふうに周りと自分に分離感を生じさせたり、
自分への過大評価 (特別意識)や自分を卑下したりすることです。
あああ・・・またやっちゃった!そんな自分の行動を振り返って
そのままの素直な自分を認めること、自分は貴い存在であり、
周りも貴い存在であると認め、すべてはつながっていると感じる境地です。
明治二十八年の法令で”ご神体”の様式が制定されたそうです
(出雲路敬直「御神体・御神殿・御神宝の実像に迫る」より)。
「白銅円鏡で、天神地祇と天皇は径一尺(約30cm)、その他の神は七寸(約21cm)、
背面に神名を刻み、つまみに紅紐をつけ、金襴の袋に納めて柳箱に入れる。
それを白平絹の入帷(いれかたびら)に包んで、さらに檜白木造の辛櫃に納める。」
鏡は、ありのままの姿を映し出すもので、 神道の本質は「鏡」にある。
日本には「鏡岩」と呼ばれる巨石がご神体となっており、反射した太陽の光を神さまの
御光として拝んでいる聖地(日吉大社の金大巌など)があります。
また、鏡から離れると・・・映らなくなり 近づくと 新たな瞬間の映像が映ることから
諸行無常 無常の象徴的意味もあるようです。
御神輿って・・・”(-”"-)”
『おみこし』、漢字で書くと 「神の輿」
こちらがお願いするのだから・・・礼儀を尽くし、神様のおられる場所へお迎えに上がらせて頂く。
祭りが無事に終われば 元の居場所へお送りさせて頂く 神様の乗り物。
鏡に映った神様を拝めば 鏡に映った自分自神を( ^ω^)・・・拝んでいるということは、
発した祈りは、そのまま自分に返ってくるということです
願いを叶えるために 考えるのも行動するのも自分自身!すべて私しだいです。
無理ある祈りには、無理なる人生が待っている・・・
上手くいかないときや落ち込んでいるときは 「今は学びのとき、成長せよ!」 という時期なので、
「気づき、学ばせていただきます」 今できることをすることです。
どんな状況であれ、生きていることに感謝し 自分の中に光があることを信じ、手を合わせて、
「ありがとう・・・」と言い続けます。
「自分自身」が元気で輝けば、笑顔と感謝、賛美の神社参拝が
発した祈りのエネルギーに神社の神々の応援が加わって数倍になって返ってくる(鏡だから反射する)
笑顔で祈ると、笑顔の人生・・・ 感謝の祈りには、感謝の人生が・・・
(^◇^)神社でお参りの後、心地よくなり、「有難いな~」と、
感じたなら、その瞬間は「神」の心になっていますよ♪
神道では「魂振り」と言って、神霊の鎮まっている御神体を振り動かすことにより神威が昂(たかま)るという信仰があります。
神霊がお乗りになったお神輿を激しく揺り動かすことで、神威が増すとともに、お神輿を担ぐ氏子の人々、地域にも生命力と繁栄をもたらしてくれるのです。