フェリーで宮島に着いたら、目の前のトンネルを抜けてすぐ右側の存光寺(ぞんこうじ)で、月に一度の坐禅会が行われています。
毎月第二水曜 午前十時より
この空間で、ゆっくり気持ちを落ち着けてみるのはいかがですか。
次回は11月11日、あさってです。
フェリーで宮島に着いたら、目の前のトンネルを抜けてすぐ右側の存光寺(ぞんこうじ)で、月に一度の坐禅会が行われています。
毎月第二水曜 午前十時より
この空間で、ゆっくり気持ちを落ち着けてみるのはいかがですか。
次回は11月11日、あさってです。
大聖院でギョッとしたモノです。
このタヌキにはインパクトを受けました。
そして、このダルマには衝撃を受けました。
どっちも抱えられないほどの大きさです。
写真では迫力が伝わりませんが、とにかく、強烈。
一体、どんな人が、どんな気持ちで、どんな顔をしながら造ったのだろうか。
カッパがいる。
ピグモンがいる。
そしてこの巨大な天狗。
そしてこの子供たち。
ここはやっぱり大聖院でした。
フェリーで宮島に着いたら、目の前のトンネルを抜けてすぐ右側の存光寺(ぞんこうじ)で、月に一度の坐禅会が行われています。
毎月第二水曜日 十時より
この日だけ、ぶら下げられる「坐禅会」の看板。
私は初参加です。
そろそろと人が集まってきます。
始まりました。
静寂の中、後ろを、ヒタ・・・ヒタ・・・と歩く和尚の足音だけ。
約40分の坐禅が終わるとお茶の一服です。
私は無作法なので少し緊張しましたが、作法を問わない和気あいあいとしたお茶会です。しかし、作法の勉強にはなります。
今日はウイーンのチョコレートも振舞われました。
「このウイーンのチョコレート、梅の味がするで」
「ほんまじゃ、なんでや」
「なんで外国のチョコレートに梅の味がするんや」
「プラムじゃないですか」
「ああほうか」
みんなで、とりとめのない話を。
実はあまり知られていない宮島でのこうした坐禅会。
この空間で、ゆっくり気持ちを落ち着けてみるのはいかがですか。
宗派、檀家、門徒等問わず。
お茶代、あるいはお気持ちとして千円お願いします。
存光寺の和尚が書いた本です。
題して、「風流集」
ある日、
「これ読んでみて」
と、ひょいっと渡してくれました。
存光寺の服部和尚は、東大の理学部を卒業しました。
宇宙物理学を専攻していて、東芝に勤め、グロー球を研究開発していました。
それからいろいろあって、この道に就いたとのことです。
以前は近くの徳寿寺で塾を開いて、宮島の子供たちに教えていました。
この本は、曹洞宗の教えと、いろんな俳人の句を紹介しています。
正直、難しいとこは難しい。
面白いところは面白い・・・かな・・・
存光寺の坐禅会、徳寿寺の写経会に顔を出していれば、多分戴けると思います。
存光寺は宮島に着いてフェリーターミナルから右方向の観光地へ行かず、正面の道を進んでトンネルを抜けたところです。
交通安全の神様として有名な、速谷神社へ行きました。
鳥居と山門には、厳島神社の紋がありました。地元でも大きな神社、どんな関係があるのか知りたくなりました。
速田神社は、約1700年もの古い歴史を持ち、古代は安芸の国の一宮として、位の高い神社でした。平安期、厳島神社が平家の信仰を集め隆盛したことで、中世、社領が平良荘まで広がり、厳島神社の摂社となりました。明治時代に速谷と正式に改め、今に至ります。社はS61年火災により消失、63年に現在の社殿が建てられました。
本殿奥には、2つの境内社があります。(左:岩木神社、右:稲荷神社)
社裏は、これぞ「鎮守の森」というような木々。境内には、イチョウ、ムクロジ、マキ等の見事な巨木がズラリと並んでいます。上を見上げると、まだ黄緑色の銀杏が鈴なりでした。(楽しみですね~)
神殿、門、鳥居は、冬至の日の出の方向を向いていて、元旦の太陽を真正面に見ることが出来るそうです。お正月には、古のロマンに思いを馳せながら、お参りしたいですね。
では、恒例”ここからのMIYAZIMA VIEW”です。住宅の隙間から、ちょっとだけヨ…(次回は、社周辺のキノコを紹介します※7月下旬撮影)
参考資料:HP;『九州神社紀行』,『廿日市市観光協会』 『廿日市の歴史探訪』石田米孝/著;渓水社
宮島といえば、あの大きな朱塗りの鳥居。同じ形の鳥居を、見つけました。
こちらは、広島市佐伯区海老山の下にある「塩屋神社」。ここは、海老塩浜の鎮守社で、厳島神社の末社として、五日市八幡神社のお旅所でもあります。お賽銭箱に、宮島同じ紋がありました。
この辺りが埋め立てられたのは、昭和30年頃。それまでは漁港があり塩田が広がっていたそうです。
左;摂殿「龍宮神社」 右;末社「湯蓋神社」 下;厳島神社そっくりの回廊
(参考:境内の看板)
こちらは、広島市西区井口明神にある「下乙斐島」。西部埋め立て第2公園の中に、小さな池があり、小島の前に朱塗りの小さな鳥居がありました。小島や池の周りの石にはカキが付き、侵食の跡も残っています。そう、海の名残ですね。
園内には、大きなライオンの像がありました。碑に添えられた「讃える言葉」には、この328haの埋立地が、昭和37年に地質調査が始まり、54年に完成。先祖伝来の漁業を放棄する不安と、地域の発展や未来を信じた人々の思いが、綴られていました。
私は、ここに広く大きな街があることしか知りません。碑文を読んで、私たちに託されたものの大きさや重さを、改めて感じました。
最初は、「あ!宮島と同じ鳥居だ」と軽い気持ちでしたが、それぞれの鳥居にまつわる歴史を知ると、広島の発展=埋め立ての歴史なんだなと感じました。
では、今回の”ここからのMIYAZIMA VIEW”は、八幡川河口付近から、夕霞の宮島です。中央の黒いラインは、埋め立てのための堤防です。
24日(月曜日)10時30分から、宮島の徳寿寺にて金石地蔵尊祭(きんせきじぞうそんさい)が行われます。
子授けの秘仏であり、年に一度この日だけ御開帳されます。
私共は、第二子不妊で一年間病院に通いましたが、子供はできず、ここで祈願したら一発で出来ました。
もちろん偶然かもしれませんが。
徳寿寺は、福井県の永平寺を本山とする曹洞宗の寺です。
永平寺は、NHKの『ゆく年くる年』で毎回テレビに映る日本有数の禅寺です。
今回は、弥山展望台から獅子岩展望台、紅葉谷ルートを通って紅葉谷公園へ下山しました。
先ず、瓜二つのお堂、観音堂と文殊堂。隣に大きな椿の木があり、下には沢山の割られた実が散乱していました。誰か食べたの?
大日堂を過ぎ、暫く下ると日本で唯一、鬼を守護神とした三鬼堂、そして、霊火堂と弥山本堂があります。霊火堂で煙にむせながらも、「消えずの火」に合掌。本堂横には、弥山七不思議のひとつ、「錫杖の梅」の木。普通に鹿が・・・
宮島ロープウェイの駅でもある獅子岩展望台もまた、絶景ポイントです。柵に作られた穴は、それぞれの方向を向いていて、覗くとピンポイントで見れます。
絶景でエネルギーを補給し、さあ、下山です。川沿いを歩くので、絶えず水音がして心地良いです。途中、倒木伐採の工事をしている方が、「下山するので、一緒に車で下りないか」と、声をかけてくださいました。ありがとうございます。一見さんでも、優しく声をかけていただける・・・宮島が、益々好きになりました。
公園到着。二つの橋を渡り~
やっと鳥居に再会しました。そして、お土産は、定番もみじまんじゅうです。
ついに、弥山登山3ルート制覇しました。(おめでとう!)今度は何処へ行こうかな~~
次回は、またまたまたキノコで、お付き合いくださいませ。
(”ここからのMIYAZIMA VIEW”は、お休みします)
今回は、大聖院~奥の院~御山神社~展望台と登りました。天気は晴れ。幸運にも干潮だったので、先ずは定番、鳥居くぐり。
手焼きもみじ屋さんだ。帰りに寄ろうかな・・・
大聖院入り口。中を見学させていただきました。様々なお地蔵ざまやお堂があり、ここだけでも一日祈れそうな感じ。中でも遍照掘は圧巻。でも、今日は早々に登山口へ向かいました。
さあ、鳥居をくぐり、フンドシ引き締めて(?)登りますヨ!ここにも沢山の神仏像。合掌しながらの登山です。
土石流の生々しい跡に遭遇しました。参道が流され、ダムの底に新しい道がつくられていました。
またまたお地蔵さん~合掌。いったい、島全体にどれくらいいらっしゃるのでしょうね。人口より多かったりして。
ちょうどひと疲れした頃に、さっと視界が広がり、木の間から絶景が!(廿日市市街)
疲れも吹っ飛んだところで、再び歩き始めます。珍しいムシにも遭遇しました。太さ1cmもありそうなオオヤスデ?連れて帰りたかったですが、弥山の自然は侵してはいけませんネ。
やっと奥の院到着。道は少し太くなり、軽自動車が止まっていたのには驚きました。近くに多々良道(生活道)が通っているのです。あ、”人が暮らしているんだ”と再認識しました。し~んと静まり返り、誰もいない。でも誰かいる感じ。
山中の悪路を通り、御山神社へ。真っ赤な社に緑い松、青い空、白い雲。コントラストが絶妙です。ここもまた絶景!
ついに展望台到着、そして、大パノラマを独り占め。キテヨカッタ・・・。(次回はまたまたキノコ特集でお付き合いください。)