2011年12月4日 宮島 岩惣前のもみじ橋です。
みごとに紅葉は・・・散っている。残り少ない紅葉を楽しんでみよう。
確かにモミジ谷公園の入り口にある紅葉橋の紅葉は散っていました。
ちょっと奥にある 四宮神社の上まで来ると・・・紅葉はあります。きれいです。
もみじ谷の紅葉は・・・・散ってしまったもみじもあるけれど、私は運がいい!
信じて探せばもみじに会える、宮島の自然は私にいろんなことを教えてくれます。
2011年12月4日 宮島 岩惣前のもみじ橋です。
みごとに紅葉は・・・散っている。残り少ない紅葉を楽しんでみよう。
確かにモミジ谷公園の入り口にある紅葉橋の紅葉は散っていました。
ちょっと奥にある 四宮神社の上まで来ると・・・紅葉はあります。きれいです。
もみじ谷の紅葉は・・・・散ってしまったもみじもあるけれど、私は運がいい!
信じて探せばもみじに会える、宮島の自然は私にいろんなことを教えてくれます。
(^^)/ 宝寿院 檀徒を持つ真言宗のお寺です。
裏手の山に「馬酔木(あせび)」が群生していたことから「あせび寺」とも呼ばれています。
2~3月はアセビの花が咲いてとても綺麗なのだとか。ガイドブックに書いてあります。近年はシキビや萩を育てることにも力を入れられていて9月には萩が綺麗なのだとか。
本堂の裏に聖天堂があり商売繁盛の歓喜天様が祀られています。
本堂には阿弥陀仏様が祀られていて梵語の無量寿から宝寿坊と言われていました。寛文6年に官寺となり宝寿院になったお寺。
お寺の前は山辺の古径の女人坂です。ここには宮島で有名な女人像があります。
女人坂の名前の由来となった女人像レリーフ「宮島のビーナス」です。
乳地蔵は拝むと母乳の出が良くなるとか。他にもかわいいお地蔵さんがあり、
突き当たりは鬼門を守る不動堂です。毘沙門天様と不動明王様が祀られています。
12月5日。今伊勢神社に。
小高い丘(要害山)にあります。
先月も訪れたのですが、見逃したものがあることにわかったので再び。
見上げるような階段。
50段+50段=100段あります。
急傾斜の古い階段で整ったものではないので足元に注意が必要。
油断するとうしろに落ちそうでした。
鹿の糞がたくさんあるので、鹿の通る道なのでしょう。
50段、のぼったところ。先月はこんな感じでしたが、
紅葉していました。
のぼりきると、静かな場所です。
拝殿から本殿を見たところ。拝殿と本殿を横から見たところ。
見逃したと思ったのはこれです。
鎮座する石の狛犬はいないけれど、いたのです。
要害山は休憩場所によさそうなところで、
木々の合間から海や町並みが見えます。
年配のお二人連れが休んでいらっしゃいました。
「おりるのにあの階段は無理ね」と話されていて、
私も危ないと思ったので坂道を下りました。
粟島神社もお参り。
ここの紅葉もよかったです。
「商業、産業、醸造、医薬等の守護神として篤い崇敬を受けておられます。
殊に病気平癒、安産、家内安全、福徳開運の霊験あらたかな神様として女性の方々の信仰を受けておられます」(現地の案内板より)
紅葉は終わり近づいていましたが、足元に散る葉がきれいでした。
2011年12月4日 神泉寺跡の帰り道、
出会った人と宮島探訪しました。
山辺の古径を歩いて称名庵跡に行きました。
昔は表参道商店街の海だった?
山辺の古径を多くの人が歩いていたようです。
(^^)/ 称名庵跡
称名庵は光明院住職退職後の住まいでした。
光明院の15代和尚により約200年前に設立されたそうです。現在は廃寺です。弘化、嘉永の頃から尼寺となり平成6年まで守られてきたようです。大正15年に檀家により念仏塔が建立され薬師座が祀られているらしい。
昔、病院がない時代に病気になった人はお薬師さんに治してもらおうとお参りに来られたのでしょうね。
お堂には、目の不自由な方がおまいりしたところ目が開いたことから名づけられた
『開眼地蔵』が祀られているそうです。
近くには・・・誓真さんの釣井があり
宮島に住んでいる多くの人が
今でも生活水として利用している
様子がうかがえました。
2011年12月4日 誓真徳碑で出会った歴史マニアの方に神泉寺跡に
案内していただきました。この辺りは夕方になるとタヌキが出るところで、
鹿がたくさんいるところでもあります。
(^^)/ 神泉寺跡
壇ノ浦の合戦で入水した二位の尼(平清盛の妻)の亡骸が有の浦に流れ着き
尼を弔って創建された寺と言われています。阿弥陀堂を建てて尼の木像を祀った。
江戸時代には昼夜「刻」を報じていたところから『時寺』とも言われていました。
宮島の恩人誓真さんはここを拠点に修行をされていたそうです。
明治維新のあと廃寺となり尼の木像は民俗資料館で来年1月15日から公開予定。
いろんな思いを寄せながらひと時を過ごしての帰り道。昔この辺りは~
私には広場に見えるけどマニアには、ここは何があったとか・・・思いが募る場所。
江戸時代からの変わらない石段を下り 光明院へと続く脇道を歩きました。
2011年12月4日 鹿とカラスに感動した私は
光明院の鐘堂の真っ赤な紅葉が見たくて
塔の丘から光明院へ行きました。
塔の丘に行くトンネルの紅葉も真っ赤でした。
通年ですとまだ葉が残っている丘の上の紅葉は
見事に散ってしまい骨組みの枝だけ。
(^O^)/ 光明院の鐘堂の紅葉です。きれいでしょう。
あまりにきれいなのでいろんな角度から写真を撮りました。
光明院を出たあと、誓真徳碑に行き山を見ると真っ赤な紅葉がある。
小高い丘の坂道をのぼり、木のそばで五重塔を入れた写真を撮ってみました。
真っ赤な紅葉に出会えて 美しい光景に大満足!大感激しました。
2011年12月4日14時ごろに筋違い橋の傍にきれいな紅葉見つけて見に行きました。
今年の紅葉は・・・色鮮やかで見事な紅葉、
写真を撮っていたら御陵橋のそばもきれい
夢中になってきれいな紅葉を追いかけて写真を撮っていたんです。
あれ、なんか?黒い布が鹿にかかっているように見えたんです。
よく見ると・・・カラス。大勢の人が見ていたから写真撮ったんです。
その後出会った宮島大好き歴史マニアの人に聞いた話ですと、鹿は長老鹿で
以前は立派な角の鹿だったそうです。今までに4回見たと言われてました。
すごく珍しいめったに見れない光景だそうです。
カラスはその後大願寺方面へ飛び立ったいきました。(^_^)/~
2011年12月4日 朝から小雨が降っていました。大聖院コースで弥山に上がり、
出口近くで出会った方は150回弥山にのぼり4回ヤマドリに出会ったそうです。
今日も暗いうちにもみじ谷コースでヤマドリの親子を見たそうです。
宮島に来る途中の電車の窓から虹が見えたとか、写真を見せてくださいました。
その後、御山神社に行き弥山本堂に行きもみじ谷コースを下山しました。
湿っていてよく滑る、ギャー!見ないで!2回尻もちをつきました。
もみじ谷はもう紅葉が散っている・・・四宮神社の周りはまだ見れる。
四宮神社かた平松茶屋の下のもみじ道を通り大元公園へゆきました。
大聖院から多宝塔へ木比屋谷園地(国民宿舎の傍)へ行きました。
この辺りが今は見ごろのようでした。ことしは・・紅葉が今一かな?
御陵橋のそばで見た光景です。仲良しのようです。鹿は・・・長老のようでした。
宮島ではカラスを祀る神社があり、鹿は神様のお使いです。
だから・・・神様のツーショット 初めてみたのでビックリしました
⑧墓地の楠:可愛川沿いの、塀に囲まれた墓地の中に立っています。チュッパ○ャップスに似てるな…と思いました。
⑨七尾中学校の楠:大正期から名を替え場所を替えてある、廿日市でも古い中学校です。校舎の位置は時と共に変わりましたが、昔から、この学校のシンボルとして、沢山の子供たちを見守ってきたんでしょうね。
⑩宮内天王社の巨樹群:この神社は、厳島神社との関りが深く、祀時には厳島神社の神主が来られるそうです。
ケンポナシ、ムクロジ、イヌマキ、エノキ、イチョウ、はどれも古く大きな樹ですが、すべて手植え。また、シイモチという貴重な木もあります。
⑪金剛寺のハゼ:段々畑の一番上にあるこの木には、以前、市内で最も古いキヅタが絡まっていました。しかし、台風のため枯れ、今はハゼだけになってしまいました。四季折々、緑に朱に色づき、とても美しいです。
⑫西向寺の松:この寺は、1625年、僧玄正が開基しました。松は「蓮華松」といわれ、樹齢300年を超えているそうです。境内いっぱいに伸ばした枝が見事です。
⑬地御前小学校の銀杏:校門の近くにあります。今では上の方が折れていますが、樹回りをみると、さぞ高い木だったんでしょう。
⑭地御前神社の楠:線路わきに、ひときわ大きく基部が三俣に別れた楠があります。歴史ある神社にふさわしい巨樹で、文句なし!カメラに入り切れないよ~~
⑮あじな桜:昔、ここには西国街道の山越えの近道があり、そこを通る人々の道教えと安全を見守ったといわれている「おしえ地蔵」が立っていました。40年ほど前、阿品台の廿日市ニュータウン造成に伴って調整池が作られ、お地蔵様がJR阿品駅から200㍍程の所へ移された時に、記念に枝垂れ桜が植えられました。今は枝桜ですが、春には美しい桜色に彩られ、地域の人々に愛されています。(クロ-バーの絨緞も素敵。春に行ってみたいです)
巨きな樹を、こんな小さな写真に閉じ込めて、なんだか申し訳ない感じです。
機会があったら、ぜひ行って&見て&触れて、その大きさや時間を、実感してくださいね。
(ここからの”MIYAJIMA VIEW”はお休みします。)