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「管絃祭」は8月1日(土)

嚴島神社の御祭神をお慰めするために始められた嚴島神社最大の神事「管絃祭」
今年は8月1日(土)に執り行われます。
管絃とは、三管(笛.しょう.ひちりき)、
三鼓(太鼓かっこしょうこ)、
三絃(和琴琵琶筝)などを合奏する音楽のことだそうです。

広島市中区役所Hpには
宮島の管絃祭は、厳島神社の祭神.市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)が白馬に乗って、
対岸の地御前神社の神に会いに出向かれた(逢引き)のを、お迎えに行く祭事。

と紹介されています。
 船を使い夜間に行われる祭りのため、夜半の満潮時に潮のよく満ちる日が古くからきめられ、
毎年旧暦6月17日に行われるそうです。(・o・)今年は8月1日です!
 お迎えに行く管絃船(御座船)を曳く船は江波の漕伝馬です。
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 祭り当日早朝、江波の漕伝馬が宮島の長浜神社沖につきます。 朝の満潮にあわせて、管絃船が阿賀の船に曳かれて大鳥居沖に引き出され、これに入替わって、江波の漕伝馬は大鳥居をくぐり、
午前10時頃、厳島神社の回廊にある「桝形」に入り、太鼓にのせられた音頭と台振(船に四斗樽を置いた上で踊る)の演技で三回まわります。
※伝馬船の回転できる最小領域でのテクニックは、昼イベントのクライマックスです。

(o>▽<)o夜遅くは見れないなら、
是非!昼間に厳島神社へ行って見てください

江波の漕伝馬の管絃祭にかかわる前日の行事(^O^)
 前日の朝、漕ぎては、おなじみの法被(ハッピ)に白足袋.手甲.脚絆に笠をかぶり、
役員は、帷子(カタビラ)に黒足袋.カンカン帽のいでたちで本川を逆上り、
お世話になった所にあいさつ回りをします。 ※挨拶とは、船を左廻りに3回まわすことです。
 古くは、本川橋西詰の森川家で食事をとる習慣でしたが、戦後、森川家が移転し、
現在では中国新聞社が食事を出して伝統を受け継いでいるそうです。

夕刻になると、「奉輦(ほうれん)」と呼ばれる神輿をお載せした「御座船(ござぶね)」が
潮の差し上がった嚴島神社を出発し、御座船からの管絃の音♪生雅楽を聞き♪
御座船を曳く漕船からの太鼓・采振り・木遣り歌と共に海上を渡御する・・・「平安絵巻」。

厳島神社 管弦祭そんな季節になりました。管弦祭に行きたいといろいろ情報収集をはじめたら・・・
宮島管絃祭と江波の漕伝馬 雑記帳@F-Page広島;2012.08.08宮島 管絃祭(前編)
いいカメラ持たれた方が撮影された写真を載せたのを見つけ!
2010.7.28厳島神社管弦祭 ダイドードリンコスペシャル 神をいざなう、男たちの夏 宮島 管絃祭
!(^^)!テレビ放送されたのね~思いながら・・・今年はどんな楽しみ方しようかな?と考える。

厳島神社にはたくさんの狛犬さんが・・・・狛犬は、神社の神さまを守護し魔除けを担っておられます。神社の狛犬さんは空想上の守護獣像で「神獣」!犬に似ていて頭部に角があり、怖い猛々しい姿をしていますよね。

強大な力を得るために、地上最強の動物(と思われていた)獅子(ライオン)の力を王に宿らせるという思想があり向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」、左側が口を閉じた角ありの「吽像」。仁王像と同じで、「阿吽:あうん」で宇宙のすべてを包含する意味を持っているそうです。
日本の五十音が「あ」で始まり、「ん」で終わるのは、宇宙のすべてがこの中に含まれているからといわれ、五十音は「阿吽」を表現しているといわれています。
(・_・)五十音は仏教の梵字から弘法大師空海が作ったらしい。
仁王像(別名:執金剛神または金剛力士)は、寺院の門の左右に置かれていて、口を開いた「阿形」閉じた「吽形」の二対で胎蔵界、金剛界のすべて、寺院の境内を悪から守っているようです。

厳島神社です
厳島神社の阿吽像!おすわりしている股間をクローズアップすると…
厳島神社のは・・・阿がオスで吽がメスでした。

厳島神社の社務所前(開かずの扉のそば)にも 尻上の狛犬さんがおられます。通常は?神社に行くと狛犬さんのあいだの石段を歩いて本殿に向かうのですがね。。。ここは神職さんの通り道だから狛犬さんの間を進むと正面には大鳥居が見えるのですが?立ち入り禁止
ええ?神社に行きたいのに 昇殿料を払わないとお参りできない。

狛犬さんは威嚇してる?尻上の狛犬さんは攻撃的!襲いかかる
尻上がりの狛犬さんは私を見て? 強気の狛犬さんは・・・お詣りすれば 運気上昇ということですかね

そういえば お散歩しているワンちゃんも
かわいいお尻をちょいと持ち上げてう~(メ・ん・)?
ヽ(´o`;それを見つけた飼い主さんは 手を出して運を拾う
(^-^*)(・・*)(^-^*)(・・*) 運って行動してつけるもの見たいですね。

アイスバーンの御例祭

厳島神社の奥ノ院!(^^)!御山神社の御例祭に行ってきました。
前日は寒くてみぞれ交じりの。。。雪が降っていた参道はどうなっているのか


里見茶屋あとから雪が見られ だんだん雪が。。。。滑りそう (・_・;)滑った!
遊女の石畳みの移設がある辺りには雪が解けてツララがありました。
歩いていると暖かい 霜焼けできそうだけど空気は冷たくて気持ちよかった

途中1頭の鹿さんに出会いました。雪には人の足跡・鹿の足跡・杖の跡がありました。
御山神社の鳥居前で2人の若者に出会いました。手水は凍っていない、流れていました。

神職さんは長靴を履きここまで来ることができる方が選ばれたのかな?お正月にはお餅を供えるそうです。
弥山山頂には笛の音が響き神の島宮島 何とも言えない幸せな気分!来てよかった。
頂上展望台のトイレの水は凍結していなかった、この時期はトイレの水が氷るから登山の時はすませてね。
神職さんは神事の後、大聖院の奥ノ院へ行かれタクシーでもどられたようでした。私は滑りながら下山。

厳島の伝説

市杵嶋姫命は素盞嗚大神(祇園さん)と天照大神との誓約により須佐之男命の剣から生まれた三女神のなかの
一神と『古事記』に書かれています。水の守護神で七福神の弁財天(厳島弁財天)としても親しまれています。
神名の「イチキシマ」は「斎き島」のことを指し、神に斎く島の女性という意で「いちきしまひめ」。
本地垂迹においては仏教の弁才天と習合し、同神とされました。
*厳島神社の出口⇒大願寺の厳島弁財天様は元は厳島神社で祀られていたそうです。
☆四百二十年位前の覚え書きによると天照大神の命令で市杵島姫命が西海を守ることになったそうです。

厳島神社の伝説では、最初の御鎮座地が豊田郡瀬戸田島の志加田原であり、豊田郡大崎島に御遷りなり奈加の村、加牟の峯に御遷座があり同(大崎)島の七浦を御巡幸され、御宮を造営された「七浦行者(のかりのみや)」といいました。しかし、御神慮に適わなかったから、更に安芸の島々を御巡行になり、最後に大竹市 大竹浦に到り給いそこから厳島を御覧になって「あそここそ吉い所だ。永久に鎮まろう」と仰せになり、はじめて御鎮座地が定まったと伝えられています。

「市杵島姫命」には、二歳になるお子様がおりましたが突然姿を隠してしまったのです。姫は力を絞ってお探しになりましたが、見つけることはできませんでした。 姫はすっかり元気をなくし、毎日毎日、遠くを眺めては・・・・ため息を尽くばかり。雉の鳴き声を聞くと、身にしみて耐え難いといわれるようになりました。 
住んでおられた土地を離れ、平和で美しい安住できる土地を求めて遍歴の旅に出られたのです。
*管弦祭は御稚児さんが乗船されます。お子様は?⇒大聖院の十一面観音様(救済に行かれた)かな?
宮島管弦祭
瀬戸内海に浮かぶ島を眺めながら船を進めて、姫は大崎島の神ノ峰を見つけられました。
木江浦に寄られ、上陸してみたが、山道は険しく木が生い茂り、登っていけそうにありません。
船を北西に廻して矢弓の加組の鼻で一休みすると、大崎では海に鳥居を作って、姫の来られるのを歓迎しているのが見えました。船を進め、神ノ峰に登ると(*^。^*)眺めは素晴らしい!
姫は沖の小島に見とれておりました。

 (^_^;)一羽の雉が飛んでくると、
姫の頭上で糞をして逃げていってしまったのです。
雉は蛇(白蛇は弁天様のお使い)を食い殺す!
大層気にかけられて、神ノ峰を立ち去って行かれました。
 その後、大串の外浜で西へ船を進めていくうちに・・・・・見つけた!(^^)!今の宮島であるとか。

御祭神のお話

2月1日は御山神社の御例祭!私は2012年頃から毎年参加して立ち会っています。
2012年  2013年  2014年

御山神社の御例祭


厳島神社の御祭神は、田心姫、市杵島姫、湍津姫で、市杵島姫が主祭神として祭られています。神社の創建は推古天皇の時代となっていますが、それは現代の社殿で、それ以前の神武時代、島の山頂に市杵島姫一座だけ祭っていたといわれ、神武天皇が大和に都を建てた後、他の二女神も追加して祭ったと言われています。

宮島は古来より厳島と言われてきました。古名は墨松島または恩賀ノ島、御香島、霧島、我島といった事が伝えられていますが、古来から「市杵島姫」をイチキ祭る島、島全体が姫神をイチキ祭る神島として「イチキシマ⇒いつくしま」と言ったのが正説のようなんです。伊都岐島は「島に神霊をいつきまもる」の意味だそうです。
 
 島の最高峰は弥山!古名は御山【オヤマ】=神のおわす山(厳島神社の御神体は山)と呼ばれ弘法大師が修行場として頂上の地を選んだことから霊場の須美仙山にちなみ【ミセン】となりました。

 

百手祭の思い出

毎年1月20日は大元神社で百手祭が行われます。
一度行って見たくて行ったのは昇り龍の辰年でした。

百手祭 ;大元神社内で祝詞を奏上し、神饌(神様へのお供え物)を献じた後、
神職が「天」「地」で射る型をし、次に「天」で射る。
次に「左」「右」で射る型をし、次に「左」で射る・・・の順に矢を射ます。
的の裏面には、甲・乙・ム(こう・おつ・なし。)の3文字を組み合わせた
“鬼”に似せた文字が書いてあり、字には

「年の始めから争いごとはしない」という意味があるそうです。


もともとは正月7日に千畳閣で行われていたそうですが、神仏分離により
地主の神と崇められていた大元神社で1月20日に行われるようになったそうです。

神事のあとは。。。お祓いをしていただき、お神酒をいただきます、そのあと・・・くじ引きです。
破魔矢¥500を買うとくじ引きで番号札をもらえるんです。番号が当ると?
御弓神事で放った矢が当る、3組(6名)にお食事券(ほう飯)が当る。
(゜.゜)?初めて行った私は 当たった方からゆずり受けて
神社に上がってほう飯を神官さんと一緒にいただきました。
そのうえテレビに出てしまい・・・いろんな方から「見たわよ」って!

客神社の神様

厳島神社の入り口を進むと祓殿があり五男神がお祀りされた客神社があります。
厳島神社の祭典は、先ずこのお社で行われた後、本社で行われるのです。
ご祭神 正哉吾勝々速日天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野樟日命

(・o・)/ 客神社(まろうど)の、五男神様
神様は、須佐之男命が、天照大神が持っていた「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を
受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から生まれた男神と言われています。

天孫降臨;天照大神と須佐之男命との誓約=子生みの神事 異心なき証明として行われました。
天照大神が、須佐之男命の十握剣(とつかのつるぎ)を三段に折り、かみ砕いて吐き出して生れ出たのが三女神。須佐之男命が、天照大神の左右の腕や髪に巻いている八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)を噛み砕き、吹き捨てた中から生れ出たのが、五男神と言われ須佐之男命が男神を生み異心なき証明(勝ち)とされたそうです。

古神道では、五体三魂と言って五体が体、物質世界を表し、三魂は心、魂を表すそうです。
舞楽の後ろに右門客神社
高舞台の後ろに見える左右門客神社に祀られている神様は、
御門の神様の櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわ・・・)
沖の恵(江)比須とも呼ばれている神様。きっと古代先住民の祖神、守護神として祀ったもので門客神とは、神社の門に置かれた「客人神」のこと。
「客人神」は地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話に登場する神々と立場を逆転させられて、客神となった土着神=アラハバキが「客人神」として祀られているみたいです。いろいろ調べていたら・・・「ハバキ」の「ハハ」は蛇の古語で、「ハハキ」は「蛇木」又は「竜木」
「辰」=「竜」、「巳」=「蛇」だから、蛇と深い関わりがあるみたい。
「波波木(ははき)神」が祀られるのは東南=「辰巳」の方角だったりして
厳島大明神=厳島弁財天・・・白蛇は弁天様のお使いだからね。
江比須(門客)神社

*宮島本によると、仁安の記録に「江比須」とあり、門客神社の始まりと考えられ鎌倉時代以来2棟だとか。

雪が降ったら行って見てネ!

寒い!よくが降るようになりました 私が聞いた話だと宮島の雪+最高記録は60cmですって。

宮島の言い伝えでは 夜、雪が降った朝方に神社の屋根の上に大きな足跡がついとる?
弥山の天狗が下りてきて歩いちゃったのだとか。<・・・・雪の宮島に行けたら要チェック!
*積もった雪の上をカラスかサギが歩いて跡を付け、時間が経つに連れてあしあとの回りが
溶けてきて大きくなり、 「天狗のあしあと」に発展したらしいですよ。
宮島 厳島神社   写真

宮島・・・複数の龍が飛び交う神の島。 (^O^)元日はJR JR西日本元日乗り放題がお得
主祭神:宗像三女神。 三女神が祀られているだけあって、非常に雅みやびな神社です。
宮島の一番のパワースポットは御山!御山神社にお参りし、山の力を感じながら
大地のパワー海のパワー☆を吸収して厳島神社で、山の氣と海の氣を融合させる

(・o・)/ 蜃気楼[しんきろう]
だいたい一月か二月頃の寒い日の夜明けに、海面近くの冷めたい空気と上空の日が当たる温い空気で
温度の差が出きて、冷い空気がユラユラとレンズの役割をして~ふだん見えない、遠くの景色や船が
ユラユラしてる所に映し出されて、すぐ近くにあるように映って見えるそうです。

心の大掃除

12月の8日はお釈迦様が悟りを開かれた日、菩提寺の下で人間のあるべき姿を見出されたそうです。
座禅をする動機は?気持ちよく生活したいから、精神を鍛えて受験に試練に臨むためとか・・・

座禅

座禅

座禅の経験者の話だと身を調え息を調えていると
ふっと穏やかになり不思議な感覚を覚えるのだとか
ぎゅっと握った手をそっと開くような充足感!
穏やかな心で優しくなれるそうです。

大聖院。☆要予約 (・o・)精進料理もありますよ
座禅 30分で料金は一人500円。
写経の体験!般若心経を書き写すことで、功徳をいただくこと。
  ※写経は、30代、40代の女性が多いらしいですよ。

鎮火祭は毎年12月31日の大晦日、午後6時から嚴島神社の御笠浜で行われる「火難避け」の祭りです
嫌なこともストレスも心のゴミを燃やしてしまおう

菊花祭で舞楽が見れる

10月15日は厳島神社の菊花祭です。午後5時ぐらいから舞楽が奉納されます。
夕方からはじまるので暗くなって寒くなって舞楽を見るんですよね。
菊花祭

舞楽は・・・・
振鉾、万歳楽、延喜楽、賀殿(御祭神に菊の花を供える)、
一曲、曽利古、散手、貴徳、陵王、納曽利、長慶子

☆菊の花を御祭神に供える祭典が厳かに執り行われ、舞楽が奉納される
舞楽では左方と右方が対になって演目が決められます。
左方がある舞楽を演じた後には、同じような人数・時間・動きの右方の舞楽が演じられる。
そして。。。すべての演目が終了後、長慶子(ちょうげいし)という曲が演奏され、
この曲が演奏されている間に参会者が退出することになっているようです。

写真撮ろうとカメラ構えても フラッシュは控えるようにと言われるから
なかなかうまく取れなくて写真撮っても見れるのは数枚だったりするの。変わった舞楽があるから見たいんだ。
*とくに曽利古は、酒を造ることを専門としていた百済からの帰化人が舞いを伝えたというし、
散手は、お釈迦様が生まれたときに作られたというから無病息災!収穫のお祝い的意味もあるのかな?

(・o・)神社で菊といえば思い出すのは重陽の節句!菊に長寿を祈る日です。
9月9日に 昔は邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていたそうです。陽(奇数)が重なる日、奇数の中でも一番大きな数字という意味で重陽なのだとか。
調べてみたら旧暦の重陽(9月9日)は10月2日でした。10月15日は旧暦の廿二日になります。
広島城 菊花展

広島では護国神社で10月の終わりフードフェスタの頃から11月の初めに菊花展があります。