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鹿話。

船の発着所である宮島の玄関口。宮島桟橋。
販売機の中に鹿さん。

鹿販売機

観光客に人気者の鹿さん。

鹿人気者

住宅街にはあまりいないのですが、いました。鹿さん。

住宅街鹿

鹿さんは食べものを探しています。

住宅街鹿2住宅街鹿3

鹿さんがわたしに気付きました。
かわいい顔をしてこっちに来ます。
フレンドリーな鹿さん。

鹿がこっちを見た

どんどんこっちに来ます。
「仲良くしたいわけではないみたい」
しつこくせまってきます。そこで目当てに気がつきました。

鹿来る

「何も食べもの持ってないよ~
 鹿さんの勘違い。勘違い」
と、フレンドリーに接しようとしていたのですが、

鹿に「ガシッ」と食いつかれ、
私は「これか」とやっと気付きました。不覚。

脇に抱えていたガイドブッグに食いつかれたのです。

鹿に破かれる

鹿の力は強いです。破かれました。

陶晴賢最後の地を訪ねる(厳島合戦歴史探索講座)キノコ編

今回は、見つけたキノコを紹介します。弥山へ登った時よりも、見かけるキノコの数は、少なかったように思いました。

き10231

上段3種は、よく似ていました。でも、真中のものは、全体が青っぽかったです。ルリハツだったら珍しい…

き10232

左上は、お馴染のツチグリです。右下のツガサルノコシカケは、長さ20㎝を超え、立派でした。

き10233

右上のツガサルノコシカケも大きかったですね。30㎝超え?
全体に色合いの地味で、小さなキノコが多く、キノコを探して歩くなら、やはり弥山の方が多様で楽しいような気がしました。
今年はいつまでも暖かく、あまり見つけられなかったのは、季節的な要因もあったかもしれませんね。
また行ってみたいなと思います。(今度は、岩船山へ…ですかね。)

あら?新しくオープン店見つけた

小田権六 頌徳碑
存光寺にある小田権六の頌徳碑です。宮島にロクロ技術を伝えた方です。
明治時代には手まわしロクロから足踏み式のロクロが開発され、
全盛期には宮島に全国から技術を学びに工人が集まったそうです。
「前ロクロ」と言って身体の正面でロクロが回転して刃物をあて削る。

木目のきれいな松、木肌がきれいなトチ、光沢のある桜を使い器などを作ったそうです。伝統工芸 宮島細工
歩いていると?今まで閉まっていたお店がオープンしている。
民芸品や伝統工芸品をおかれているお店もおおくあります。
誓真さんのお話 http://www.hint.or.jp/miyajima/seishin/index.html
江戸時代、宮島の山は藩の管理下にあり、松や杉は勝手に切ることができなかったが、それ以外の木は雑木と呼ばれ、細工物の材料として使われていたそうです。

反り橋
紅葉谷公園から大願寺へ行く道で 新しいホテルやお店を発見しました。

2011年7月30日オープンのホテル菊乃屋です
ホテル菊乃屋
宮島には懐かしの赤い丸いポストがたくさんあります。
また、合格祈願祭りや杓文字供養もあるそうですよ。

栗(限定もの)。

栗を買って帰りました。

表参道通りにある「風籟堂」というお店からしてくる
栗の香ばしいにおいに誘われました。

ぽん菓子を作るような栗焼き機で焼いてくれる
国産焼き栗。

「あったかいからまだ口をしめないでくださいね」
と言って、手渡されました。

栗袋入り

大きな栗。
ぱっくりと口を開けていて食べやすい。

10月から2月ごろまでの限定販売で、
国産栗がなくなったら、安納芋の焼き芋になるそうです。

栗

栗つながりで、
おきな堂の秋季限定「栗もみじ」(9月中旬~11月下旬)

おきな堂ふくろ栗もみじ広告

採れたての栗100%。

おきな堂もみじまんじゅう

栗あんの中に粒栗が入っていて、
とても「栗」を感じられます。
栗の風味豊かなもみじまんじゅう。

おいしいものはみんな知っている。
どちらのお店も並んで買いました。

大願寺の火渡り式。

11月3日。
宮島は観光客で人が多かったです。

ひときわにぎやかだったのが「大願寺」

火渡り式(厳島大仏不動明王柴灯護摩祈願法要)が、
とりおこなわれていました。

なんの知識もないままに見物。

太く響くいい声でなにやら唱えていて、迫力があります。

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火がつけられると煙がもくもく。
煙の行く方に陣取っている人が後ろに下がっていくほどです。

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火が消えてきたかなと思っていたら、
しゃもじが投げ入れられてまた火が大きくなったり。

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ホラ貝も場を盛り上げます。

みんな顔が赤くなって熱そうでした。

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竹で叩いたりして、火の色が見えなくなり、
渡れそうな雰囲気に。

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お箸のような細い炭が投げ入れ、
足場が整えられたふうになったのはいいのですが、
また火が勢いを取り戻してしまいました。

「いい感じに消えていたのに」

私と同じようにはじめて見る人も多いらしく、
どのタイミングでだれが火を渡るのか話しています。

「ああ、また危ない感じになった」という火の強さのとき、

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数人が縦に並び、一気に火を渡りました。
歓声があがります。

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「これから走りますよって相図してくれればいいのに」と、後ろから声。
私もそう思いました。
「太鼓の音で走る瞬間がわかった。しっかり撮れた」
という人もいましたが、私はわかりませんでした。

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そして、再び火は鎮火へ向かい、
塩が袋からバサッとまかれました。
「あっ業務用」と声。…茶色い紙袋に食塩の青文字が。

次は一般の人が渡ります。
しっかりと火は消されたまま。

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一般の人たちが列を作って火を渡る順番を待っているのを
向かいの宝物館から撮りました。↓ ↓

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今日はなるべく人の少ないところへ行こうと思っていたのに、
やはり人が集まっていると気になってしまい、
火渡り見物に時間を費やしました。

いいものを見せてもらいました。

宮島ゴミゼロウォークと火渡り神事

2011年11月3日 宮島ゴミゼロウォーク 5kmコースに参加しました。
宮島桟橋→宮島福祉センター→杉の浦公民館→うぐいす歩道→谷ヶ原公園
~自由散策(15:30までに桟橋に戻りゴールすればOK)
 谷ヶ原公園でスタンプを押していただいたあとは、大願寺へ行き御接待のお茶ともみじ饅頭(藤い屋さんの本日できたてあたたかいのと、やまだ屋さんのいろんな種類のもみじ饅頭のどちらか)をいただきました。
そして今年は火渡りしようと紅白の御幣を購入して いったんゴールしようと桟橋へもどりました。
たくさんの参加賞をいただいてリックに詰め込み、再び大願寺へもどると・・・
 もう柴灯護摩が始まっていました。前の方(不動堂)の近くで見ていました。
ほら貝を吹きながら山伏さんが入場、祭壇に点火、そして火消しの行が行われ、
最初の山伏さんが周りに火が燃えているような場を渡られました。すごい。
火渡り神事
火渡り神事
 私は・・・もう消す頃でいいや、さいごに渡ろうと思いゆっくり並んだのですが、
一番最後尾だったのに私の後にも並ぶ人がいらして・・・15時頃渡り、
不動堂の中でお不動様に報告して無事終了しました。
 コミゼロウォークでたくさんいただいて、帰りのリックが重かった。
本日の収穫

陶晴賢最後の地を訪ねる(厳島合戦歴史探索講座)Ⅱ

お昼休憩が終了し、いよいよ青海苔海岸へ向けて下山です。

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青海苔川に沿って、下流へ向けて進みます。倒木、川越え、ぬかるみ、コシダの藪こぎと、またまたインディージヨーンズか!と思うほどの(なわけないが)行程です。全身の神経を研ぎ澄まし、一歩ずつ進みます。橋の名残の石積みや、こんなところに何故石垣?と思うような人工物を見ると、ホッとしましたね。

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流れはだんだん大きくなり、川らしくなっていきました。ようやく青海苔浜へ到着。木の間から海が見えた時の達成感って、なかったです。「やったー!!」と、本当に嬉しかったです。青海苔神社で、しばし休憩し、お迎えの連絡船を待ちました。空は曇り気味で、少し肌寒かったんですが、悪路に汗ばんでいたので、ちょうど良かったです。

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お迎えの船が来ました。白い龍の頭の付いた観光船です。これから、島の南側、七浦を巡って桟橋へ帰ります。(※正確には南側の5つの神社の沖を回ります)昭和30年代には、龍宮丸、乙姫丸という、船首に龍の頭のついた2隻の屋形船が、走っていたそうです。現在は引退して、倉橋島の早瀬大橋付近に、ひっそりと置かれているらしいです。
養父崎浦神社→山白浦神社と過ぎ、南端の革籠崎を周ります。向うに見えるのは可部島です。

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須屋浦は広めの砂浜で、集まって楽しそうに海遊びしていました。10月下旬というのに、暖かいんですね。須屋浦神社→御床浦神社と周り、宮島桟橋へ。カキ筏まで、ほんの数メートル。手を伸ばしたら触れそうです。

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ついに、遠くに宮島桟橋が見えてきました!多々良潟も見えてきました。今日は、あそこから出発したんだ…と、感無量。厳島神社を右手に見ながら、無事、桟橋に着きました。船内では、平清盛にゆかりの高倉院についてのお話がありました。不治の病のため、わずか約20歳の若さで亡くなった高倉院は、崩御される1年ほど前に宮島を訪れ、歓迎を受けたそうです。いつの時代も若者の死は、辛いものです。

今回、なかなか一人では訪ねることのできない宮島を、お話をうかがいながら歩きました。驚きや発見が沢山あり、本当に充実した1日でした。歴史の変遷がギュッと詰まった”宮島”、みなさんも機会があったら、歩いてみませんか?
次回は、見つけたキノコを紹介します。

千畳閣の一番新しい奉納絵馬は? ”もみじ饅頭”

千畳閣で一番新しい奉納絵馬は・・・(^O^)/ 紅葉饅頭生誕100周年記念

もみじ饅頭 生誕100周年記念”イベントは?たぶん2006年10月15日
1メートルのもみじまんじゅう 重さ25キロ、誕生百年記念につくられた。
銘菓「もみじまんじゅう」の誕生100年を記念して、広島・宮島の観光協会などが、
直径100センチの巨大饅頭をつくったそうです。 材料は小麦粉、砂糖各3キロ、卵3.5キロ 厚さ7センチの特注の金型に流し込んだ生地とこしあんは普通のまんじゅう400個分。約1時間かけ焼き上げた25キロを、切って観光客に振る舞ったとか。
宮島の一日参り (ついたちまいり)ってご存知ですか?
「一日参り の日、早朝5時にお店を開けている」もみじ饅頭屋さんがあるらしい
一日参りの後に寄ってくださる方で 常連の方にはもみじまんじゅうを振る舞っている
お店もあるそうです。一日参り の常連さんは、帰りに立ち寄るもみじ饅頭屋さんが
それぞれ決まっていて、中には毎月、1人で100個以上のもみじまんじゅうを買って行く人もいるのだそうですよ。
宮島でもみじ饅頭が作られ始めたのは明治40年。老舗はこのへんかな・・・(^^)/
「藤い屋」廿日市市宮島町1129 電話:0829-44-2221     【創業大正14年】
大願寺のお祭りに行くといつもご接待で温かいのが配られます。
宮島でお祭の時とかお菓子頼むならここっていう人も多い店。
「岩村もみじ屋」(有)岩村もみじ屋 廿日市市宮島町中江 電話:0829-44-0207
【創業明治末期】大聖院に行く道の途中にあるお店です。
私は弥山登山の帰りによっています。焼き立ての紅葉饅頭1個75円。
あんこ(つぶあんとこしあんの2種類)が好きなのでね。
「高津堂」廿日市市宮島口西2-6-25 電話:0829-56-0234 【商標登録明治43年】
お店はJR宮島口の西側、線路を北へ越えた細い道路が二股に分かれる場所に
「多加津堂」という名で、酒類販売業を営んでいます。
お店前の小道を挟んだ所のプレハブ造りの小屋で二人の職人さんが、
一生懸命に饅頭を焼いてる。 高津堂の味は、もち米を使ったモチモチ感があり、
食感はどちらかというと京菓子の「阿闍梨餅」に似ているそうです。
私はまだ行ったこともないし、食べていません。
やまだ屋さんの創業は昭和7年。社長の祖母、山田ラクさんが職人を雇い小さな店を開いたのが始まり。漉し餡を作るのは大変な肉体労働だったそうで、機械化を進めたのが現会長で二代目社長だった方。
漉し餡一斗を作るには汗を一斗流さなければならない程 餡作りは大変だったとか。手焼きで1時間に200個、機械を使うと500個できたそうです。
宮島を訪れる修学旅行生や観光客が、もみじ饅頭の手焼き体験が出来る場が
やまだ屋さん2F:やまだ屋さんでは繁盛期に手焼きの焼き立てを食べれるんです。
1皿2個入りで200円、お茶はセルフで用意されています。
(*^_^*) 何気なく調べていて・・・この話に出てきた方って10月23日に
けんみん文化祭ひろしま ”さくらぴあ”で 私に桐葉菓の試食をくれた方
たみおもみじやぶどうもみじ饅頭の話をしてくださった方に似ているようです。

一番新しい絵馬

陶晴賢最後の地を訪ねる(厳島合戦歴史探索講座)Ⅰ

10月23日、宮島観光協会主催の歴史探索講座に参加し、高安が原にある「陶晴賢敗死の碑」を訪ねました。~なかなか手強い道中でしたね。でも、ディープな宮島も、一味違っていいですよ。

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午前9時30分、宮島桟橋に集合。船に乗って、海路、多々良潟へ向かいました。陶軍の逃亡経路をたどっていく形をとった行程ですね。先生の説明の声は聞きづらかったですが、潮風がと~っても気持ちいいです。ちょうどこの時間は、潮の具合で多々良潟の横に船がつけられ、砂浜から上陸しました。

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舗装道路へ出ました。そのまま道なりに行くと、広島大学の植物実験所や室浜砲台跡があります。今日は、奥の院へ向かう多々良林道を歩き、先峠を越えて青海苔海岸へ抜ける”山道”へ入ります。
これがまた、しょっぱなから挑んできますね!”道”でなく、小川状態。先日の雨で、山水がちょろちょろと流れていました。~そういえば、みなさん歩き慣れたスタイルをしてらっしゃいましたね。

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左は崖&急斜面&倒木と格闘し、やっと尾根へ出ました。ほっと一息。ここから左へ行けば奥の院、右は岩船山です。林の中、コシダのヤブコギを過ぎ、ぱっと視界が広がりました。海が見えます!(嬉)遠くに島も見えました。阿多田島でしょうか?広い空が見えると、なんだか安心しますね。(因みにケイタイは圏外だそうです)

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尾根道沿いに、海軍省の標識がありました。戦時中、岩船山には砲台があり、この辺りも管轄下で、その名残だそうです。呉に軍港があったので、大野瀬戸の見張り怠らず…ということでしょうね。宮島って、結構、いつの時代でも戦いに関係していますね。厳島合戦の時も、海(=交通や経済)の要所だった宮島の覇権争いだったでしょう?
先峠から、「陶晴賢敗死の碑」のある高安が原へ、尾根の急斜面を下って行きました。これがまた、落ち葉で滑り、川を越え、道なき道を…

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ついに、目的地へ到着しました。大きな石がゴロゴロした中に、碑は立っていました。大正10年に文学博士瀬川秀雄が、言い伝えからこの地を割り出したんだそうです。しかし、あるのは雑木と石、石、石…ハメられた感のある陶軍、厳島での戦いは、もう残党狩り状態だったそうです。色々と古に思いを馳せながら昼休憩しました。
「そんな死に方をしたら、落ち武者の幽霊が出るんじゃないですか?」と聞いてみました。「出たとしても、見る人がいないから、出ないでしょう」ということでした。(続く)

大聖院の紅葉はもみじ祭りの頃です

大聖院の紅葉は11月中ごろから20日ぐらいがおすすめです。
20101113_大聖院
(^^)/ 去年の紅葉を御参考に説明させていただきます。
11月の中頃の厳島神社はとっても綺麗、朱塗りの神社と紅葉が・・・
こんな感じです。
2010年11月13日 厳島神社
20101113_あせび道(*^_^*)ここは大願寺前
お店の横の階段を上がっていく
”あせび道”階段を上ると
多宝塔に到着します。

この時期 桜の葉が色づいて
とても綺麗なんです。
春は桜花、秋は紅葉といっても
もみじではなくて桜の葉。

多宝塔から見る千畳閣・五重塔
そして 厳島神社が綺麗です。
大鳥居の傍を通る船
行き交うフェリーも見えます。
20101120_大聖院登山口20101120_大聖院コースの紅葉
大聖院コース登山口の紅葉、
そして大聖院コースを歩いていると 
紅葉が綺麗な場所があります。
このコースは11月20日頃が綺麗でした。